「私、土方さんに殴られたいんです」
「そうか、じゃぁ遠慮なく殴らせてもらうわ」
目の前で振りあげられた拳に、私はゆっくりと瞳を閉じた。
「今日は土方さんの部屋は行っちゃ駄目ですぜぃ」
真選組で働くようになってからまだ日が浅いころ、ときたま発せられる総悟の言葉。
自分の部屋にもいちゃいけないようで、預けられた山崎の部屋で一緒にお団子を食べたり、本を読んだり、誰かさんが破いた隊服の裾を直したりして時間をつぶす。
そのうちひょっこり現れる総悟が障子越しに「もういいよ」と言うまで。
疑問を持つようになったのはいつからか。
「あ・・・」
「・・・・沖田さん・・?」
その晩も監察室に預けられた私は、山崎達監察組とおしゃべりしながら隊服を繕っていた。
完成したものを総悟の部屋に持って行く。
障子を開けたところで、手に持っていた隊服が落ちた。
「・・どうしたんですか、それ・・きゃっ!」
「いい子だから」
刹那部屋に引きずり込まれた私は抱きすくめられる。
「誰にも言うな」
真剣な声で耳元でささやく総悟の目元は、青紫色に痣になっていた。
夕食の時は何もなかった。
副長室禁止の日とその翌日は、総悟はの前に姿を現さない。
「まさか・・・・土方さんですか」
「・・・・・・あの人、ちょっと『ビョウキ』なんでさァ」
心配しなくても、アンタに手は出さねーよ、きっと。
周期があるのだ、と総悟は笑う。
「あー見えてあの人は、俺より他人に弱み見せるの嫌いな奴だからねィ」
「でも」
「他の隊士達の前じゃ頼れる副長やってんだ、いーじゃねーか。たまにだし」
「お、沖田さんが無抵抗で殴られてるんですか・・?」
「土方への恨みの補充にはもってこいなんでぃ。それに、」
抵抗したら、倍じゃ済まない。
土方に直接聞きに行くなどという無茶な詮索を予防するために正直に話した事を
総悟が後悔するのに、そう時間はかからなかった。
「私、土方さんに殴られたいんです」
「・・そうか、じゃぁ遠慮なく殴らせてもらうわ」
「な、んで・・・・アンタがやられてんだよ?!」
転んじゃった、なんて頭に包帯を巻く私の真意を一瞬で見抜いた総悟は青くなって叫んだ。
最近周期に合わせて総悟は夜勤に当てられている。
シフトを作成しているのは他でもない副長自身だ。
「まぁまぁ、いいじゃないですか」
「よく、ねぇ、よ・・・」
それは、つまりは、そう言うことを示していた。
畳に叩きつけられて軽く脳しんとうを起こし気味の頭を掴まれ、強引に引き上げられる。
髪を引っ張られ痛みに顔が歪む私の横で、灰皿灰皿、と彼はあたりを探っていた。
なにも映さぬ瞳で。
否、煙草の赤い炎が、赤く小さく映っていた。
ふと、彼と目が合う。
煙を吐き出した彼はつまんだ煙草をおもむろに私に近付ける。
ぎゅうと目を瞑り震える声を出した私に、彼は手を止めた。
顔は、駄目です。
「足、出して」
「はい・・」
ぐいと太ももまで着物の裾をたくしあげれば、無数の赤い点。
眺める間もなく、彼は手に持ったそれを太ももに押し付けた。
「お前は、良い子だなぁ・・」
言葉では褒めているのに、表情一つ変えない。
新しく出来た赤い点を爪でひっかいていた土方は、ふいに眉をしかめた。
「何の用だ、総悟」
「・・隊長が見回りの結果を報告しに来ちゃいけねぇんで?」
険しい表情で副長室の障子を開けた総悟が目を見開く。
足元が大胆にはだけていることにはっと気づいて、私は慌てて隠した。
「そうか、ご苦労」
「土方さん、アンタいい加減に・・・」
「沖田さん」
邪魔されたことに明らかに不機嫌になった土方を見て、総悟は余計に眉間に眉を寄せる。
「沖田さん」もう一度名前を呼んで、私は自分を心配してくれる可愛い男の子を見上げた。
男の子は、そんな私を見て表情を凍りつかせる。
そして歯を食いしばって逃げるように副長室を後にした。
あの子の対応は至極当たり前だ。
自分が今どんな表情をしてるかなんて、自分でもわかる。
こんな、殴られてこれ以上ないくらい幸せそうな顔をしている女なんて、
きっと気持ち悪い。
「首、しめていい?」
伸びてきた手を拒みもせず、私は目の前の男を見た。
土方さんの『ビョウキ』というのは、きっとオオカミ少年時代の後遺症だ。
群れることを拒み、ひとりでいることを好んだ。
だから、今のように大勢の『仲間』といるのは心が不安なんだ。
勿論土方が近藤達を信用してないわけでも信頼してないわけでもない。
近藤の事は心から慕っているし、総悟も。
信頼出来るからこそ、私の前は彼にあたっていたのだ。
独りの時期が長かったため、たくさんの大切なものが出来た今不安で仕方がない。
守れないなら、壊せばいい、最初から側になんておかなければいい。
そんな心のストレスが、組織が大きくなればなるほど反比例のように膨張していく。
決めた道は突き進む、そんな真面目な彼がとった無意識の防御反応こそが、この『ガス抜き』なのだ。
・・・なんて、理論も証拠もない、唯の憶測にすぎない私の勝手な妄想。
かすむ視界の中、私は彼の瞳の中に昔の彼を見つけた気がした。
見つけてしまったが最後、逃げられるわけがない。
彼と「あの人」は違うけれど、このどうしようもなくなった時の『ガス抜き』の中に少しでも「あの人」が含まれているような気がして。
「土方さん」は好きだけれど、「あの人」は特別。
「あの人」の状態の『今』を独り占めするのは、自分の特権でなくては駄目なのだ。
気づけば、首に回されていた手は背中に降りて、ぎゅう、と私の体を抱きしめていた。
「・・・・」
「ごめん・・・ごめんな・・」
残念。どうやらいつもの「彼」に戻ってしまったよう。あなたも十分好きなんだけど。
私をすっぽり包み込んだ彼は、「私」という細いガラス細工を、割らないように細心の注意を払いながら、優しく優しく抱きしめる。
「俺は・・・狂っちまってんだよ」
「ひとりじゃなきゃ生きられない体の筈なのに、ひとりじゃ生きていけねぇ」
「最初からなければよかったって思う癖に、お前が、アイツらがいねェと息ができねぇんだよ・・」
ひとりがいい。ひとりはいやだ。
支離滅裂な言葉をぽつぽつと紡ぎつつしがみついてくる体に包まれながら、
私の口元はゆるゆるに緩み切っていた。
当たってたんだ、私の考え。
『ひとり』で苦しんでいる「彼」を、「あの人」を救えるのは、
理解してやれるのは、自分しかいない。
・・・・・・これほど幸せな事は、ないよ。
「俺は狂ってる」と小さく震えながらしがみついてくる彼に、
私は成し得る限り最大に甘く優しい声を出す。
「土方さん、大丈夫」
・・だって、私も狂ってる。
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