絶対領域をリクエスト
真選組参謀、伊東鴨太郎は一瞬我が目を疑った。 たった今、屯所へ戻ったところだ。
門から入ってすぐのところに車を停めさせ、ひとり後部座席から降りたところだ。
頭の中では次にとりかかる資料の概要を描きながら靴を脱ぎ、せかせかと屋敷にあがったちょうどそのとき。伊東の目の前をなにやら黒っぽい姿が横切った。
屯所で黒色の衣服は珍しいことでもないが、それが男にしてはずいぶんと小柄で彼の目を引いたのだ。
誰かと思えばだった。
目にとめた瞬間からぴたりと歩みをとめた伊東にはまったく気づかぬ様子で大量のシーツを腕に抱えて廊下をせっせと運んでいる。
しかしその姿はいつもの女中の揃いの仕事着ではなく、目のやり場に困るような、風邪を引かぬか心配になる、しかし見る側の自分はむくむくと熱を帯びてきそうな、黒といっても隊服ではない、それは
「・・・君」
「はい?」
呼ばれてひとまず返事をして、大きな荷を抱えたまま振り返ったは、まっすぐこちらを見つめる姿が何より大切なひとのものだと気づいてふわりと笑った。
「あっ先生、おかえりなさい」
あたりに人のいないのを確かめて、ててと小走りに駆けてきた。
人目のない今ならば互いにやわらかく微笑んで、いきおい余って抱きしめたくなるほど伊東にとって大切な存在。
けれどは女中という自分の立場を気にしているのか、かたくなにふたりのことを隠すつもりでいる。
不満といえばそれくらいの、彼の大事な恋人は上がり框の端にシーツの束を下ろし、べつによごれたわけでもないのにちょっと前掛けで手のひらを拭う。
それからそっと両手を差し出して、は伊東の鞄を受け取ろうとした。
「?」
「え、あの、お荷物・・・」
「ああ、いや、これはいい。それよりなんて格好をしているんだ」
「え?ど、どこかおかしいですか・・・?」
「そういうことじゃあない」
夜更けてふたりで過ごすときは甘くやさしく名を呼んでくれるそのひとは、うっとり見惚れるほどの凛々しい顔立ちをまっすぐとに向けて、少し眉を顰めながら中指でくいと眼鏡を押し上げた。
伊東の視線を受けたは、似合ってないかな、どこかへんな着方をしてるのかな、と心配になって自分を確かめた。
白くまるい襟やふりふりエプロンの裾、その下にふんわりと広がる黒いワンピースの裾をぱたぱたと両手でしつけてみる。膝上まで脚を覆う白もどこかでたるんでいるわけでもないし、背の下にある大きな結び目もたぶん歪んではいない。確かめつつ伊東の目の前でゆっくりと回ってみせて、首をかしげて見上げてみた。
「待て、ああいや、君」
なぜだか伊東は顔を手のひらで覆い、めまいを堪えているように見える。
「どうかしました?先生、お加減でもわるいんですか?」
「いや・・・」
とにかくおいで、と手招きされて、は伊東について歩いた。
途中ときどき振り返り、がもたついていれば腰でも抱かんばかりに身を寄せて。
いつもならは伊東の真後ろをしずしずついていくのが普通なのに、今日は何かから隠すように、伊東はを壁と自分の間に挟んで歩こうとする。
いくつか扉を行き過ぎて、誰も使っていない会議室の戸を開けた。
こんなところで話すということは、何かお仕事の話だろうか。それとも何かお急ぎのだいじなご用なのだろうか。
は入るなり伊東に体を向けて、真剣なまなざしで彼を見つめた。
伊東はを促して、中に入れたのち念のため廊下を振り返っている。そのままそっと戸を閉めて、がちゃりと念入りに錠までかけた。
たった今ふたりきりになったのだとわかればの頬には赤みが差した。どきどき、ほんの少しだけ心臓が早歩きをはじめる。
狭い部屋には机がひとつ。その周りに椅子がいくつか。けれど伊東は立ったままでゆっくりとに近づいた。
「あの・・・」
「」
いたたまれず発した言葉にすぐに伊東は被せて呼んだ。目を上げれば彼の目つきはするどく、の頭のてっぺんから足の先までしげしげと見つめている。
「な、なんでしょう・・・」
「その格好は?」
「・・・メイドさんです」
「は?」
「ええと、だから・・・。今日は、クリスマスですから」
「それと君の服装に何の関連があるんだ」
「あのね、あの、本当はこんなはずじゃなかったんですけど、でも、アンケートの結果が」
「アンケート?」
「先生にもお渡ししたでしょう?」
今日からさかのぼること3週間前、食堂に朝食を取りにきた隊士ひとりひとりにはがき大の紙が配られた。書いたらご意見箱に入れてくださいねとお願いすれば、大抵の隊士は笑顔で頷いた。
ふだんから朝食も私室に運ばせる伊東にはもちろんが直接手渡しにいったのだが、その紙のことを覚えているかとはもじもじしながら尋ねる。
「しかし、あれは献立を尋ねるものだろう」
「うん・・・。そう、そのはずだったのですけど・・・」
女っ気のない屯所の隊士たちにもクリスマスを楽しんでほしい。そんな思いから、ふだんは食券制の食堂でクリスマスにはスペシャルディナーが振る舞われることになっている。ディナーといってもただの定食なのだが、一応ちいさなケーキもついていたり。
今年その献立を決める係だったは、ここは素直に隊士たちから意見を聞こうと思ったのだ。
配られた紙には第三希望まで書けるようになっていて、中にはカレーだのハンバーグだの、ほほえましい回答もあったのだが。
どういうわけだか最も票が集まった第一希望は「コスプレ」で、そう回答したものの多くが第二希望に詳細を書いており、アンケートで集まった意見を忠実に反映させた結果、「メイドさんのコスプレでハンバーグカレー」となってしまったのだった。
「で、その格好で食事を振る舞うつもりかね」
「・・・だめですか?」
話を聞く伊東の表情はかたい。ああこれは間違いなく、この格好が気に入らないのだとは察してしょんぼりした。珍しい洋装に自身はわくわくしてたのに。身軽で動きやすくって、けっこう気に入ってたのに。
「催し自体がわるいと言っているんじゃない。しかし、君はだめだ」
「うっ」
うわあんやっぱり。わたしだけ似合っていないから?
は半べそで、うっと口もとを手のひらでおおった。
「やっ、や、やっぱり。わたし、へんなんですか。ご、ごめんなさい・・・みっともない格好を、お見せしてしまって・・・」
うぐうぐと声をつまらせるに、伊東はあわてて表情を崩した。駆け寄っての腕をとり、うなだれた顔を覗き込む。
「そ、そうじゃない。そうじゃないが・・・」
「うっうっ、じゃあ、なんで」
焦る伊東はめずらしくどもりながら、の肩を手のひらにつつみ、必死でなだめようとした。
その格好はちっとも変じゃない。変じゃないどころか、むしろ・・・。
「わかるだろう」
「わっ、わかりませんっ」
「ああもう」
今にもわめき出しそうなを、伊東はぎゅうっと抱きしめた。
分厚い胸板に押し付けられて、波打っていた心拍はやがて静まる。がやすらぐいちばんの場所はやっぱり彼の腕の中。
かたや伊東もなんとなく、を抱きしめてはじめて落ち着いた。ここへこうして誘ったのも、どうやら自分が無意識にこうしたいと思っていたからのようで。
ふーっと長いため息をついて、伊東はぼそりとつぶやいた。
「その格好は、どうも厳密な雇用関係を象徴しているようで気になるんだよ」
「へ・・・?」
「つまり、僕と君とがただの主従関係なのかと思えてね」
「えっと・・・」
だんだん声音はやさしくなって、仕事中には思えなくなってくる。ちゃんとしなきゃと思うのに、あったかい鎖からは逃げられない。
「僕とはそんな間柄じゃあないだろう?」
「ん・・・、うん」
思い切りうなずいていいのだと囁く声は促して。こくんと顎を引いたに満足げに伊東は目を細めた。
抱く腕に感じるの体は着物のときより生々しくて、知らずにこくんと生唾を飲んでくるりと動く喉仏。
すっかり大人しくなったにゆっくりと顔を寄せて、ふっと微笑んでやったあとは頬を包んでお詫びのキスを。
「君を責めるつもりはなかった」
「・・・わかってます」
「じゃあ、これから僕の仕事を手伝ってくれるかね」
「え、まだお仕事なんですか?もう晩ごはんの時間なのに・・・」
「そう大したものでもないよ。君の上司には僕から話そう。だから食堂へは行かず、いいね」
微笑んでくれるこの顔に逆らうことなんてできるわけない。
やっと夕食の時間になって、早くも食堂で待つ隊士たちはそわそわと落ち着かない。
いつもなら食券を買ってカウンターに並ぶ長い列も、今日だけはなく、みな揃ってテーブルについている。
今日だけは厨房の中から順にトレイを運んできて、女中たちがどうぞと配膳してくれるのだ。過去何度か続けてそれを経験し、これといって楽しみのない男が少ない知恵を集めたのがこの部分だった。
屯所としている屋敷は居住の用と公用と大きくふたつにわかれており、だんだん人数も増えているから掃除をするのもひと苦労。たち女中だけではとても手が回らないため、隊士たちにも掃除当番という制度がある。
中でも居住の棟にある一番大きな男子トイレには女中は決して近寄らなかった。理由はさまざま。推して知るべし。
そのトイレの手洗い場に一枚の貼り紙がなされたのはつい先日。
ここに住む者なら一度は見かけたはずだが、女中たちには知られない貼り紙だった。
『集え若人!!』
『クリスマスはメイドさんとディナーを!!』
『アンケートは「コスプレ」に清き一票を!!』
扇動的な文章を書いた張本人である山崎は、一番乗りで食堂に到着しの登場をひたすら待った。
昨年からの綿密な計画がついに実を結ぶ瞬間だ。メイド姿でにっこり笑うちゃんをぜひとも写真に収めたい!できれば「ご主人さま」呼びしてほしい!あーんとかしてほしい!うるうるしながら下から見上げて「食べて・・・」とか言ってほしい!
しかし待てど暮らせどの姿はない。じゃないといやだからと給仕を断り待っていたが、いい加減腹の虫も鳴りすぎてその気力さえ失いそうだ。
よろよろ、げっそりこけた頬で山崎は近くにいた女中に尋ねてみた。
「ね、ねえ。ちゃんは?」
「ああ、あの子なら伊東さんのお仕事手伝うことになったらしくて。ここにはいないわよ」
ぴしゃーん!と雷が落ちて、その瞬間、山崎は灰になった。
一枚一枚に丁寧に細い筆をすべらせながら、ときおり伊東は顔を上げて、そろそろと彼のまわりを動くの姿を目で追った。
言いつけのとおりは食堂へ行かずまっすぐ伊東の部屋へやってきて、彼に指示された仕事を黙々と続けている。
折衝が仕事の伊東なら年賀状を送る先も多い。もちろん届く量もかなりのもので、は伊東宛ての年賀状を一枚ずつ確かめながら仕分けしているのだ。
今回送るリストの中に確かにそれがあるかどうか。あればよし、なければ別にしてまとめて伊東に手渡す作業。
その間に伊東が書いていくものもまたが受け取って、部屋中に広げた新聞紙に一枚ずつ乗せて乾かして。
彼の作業する机のまわりをちょろちょろとつま先立ちでうろついて、は彼女なりに慎重に慎重に手を動かした。なにせこれは伊東の「仕事」なのだ。その手伝いともなれば短い裾など気にしていられない。
そんなの緊張をよそに、伊東はまたちらと彼女に目をやった。
短めのワンピースの裾はが屈むたびふわんと広がって、中からのぞく白いレースがゆらゆら揺れて視線を奪う。お尻をわざと振っているわけではないのに、やたらと腰の動きが強調されて思わず手元を誤った。さっきからもう何枚目だろう。
これではいかんと頭を振るが、に着替えを指示する選択肢はない。あるわけがないだろう。
伊東は一度眼鏡を外し、指先で鼻柱を揉んだ。
その姿を見たは、ふっと笑って声をかける。
「お茶淹れますね」
「ああ、頼むよ」
は立ち上がり、部屋に置かれたちいさな茶箪笥の戸を開けた。湯呑や急須を取り出していると、ふとそこに白い紙を見つけた。
「あら?先生、これ・・・」
「うん?・・・はっ、、それは」
気づいた伊東はだっと立ち上がり、数歩を一気に詰め寄った。
の手にある紙を取り上げ、慌てて懐に仕舞ってしまう。
「あ、勝手にごめんなさい。でもそれ、もしかして」
「いや、君には関係のないものだよ」
「・・・ううん、見間違いじゃなかったら、もしかしてアンケートの」
伊東はすたすたと机に戻り、握っていた筆でさっきの紙を黒々と塗りつぶしてしまった。その上で念入りにくしゃくしゃと丸め、自らくずかごに始末する。
あまりの早業にあっけにとられたは、茶を淹れるのも忘れた手を止めしばらく黙って眺めていたが、伊東がまた年賀状に取りかかろうとしたその瞬間につぶやいた。
「『コ』って、見えたんですけど」
「は?」
彼がたじろいだように見えたのは錯覚とは思えない。
「『コ』ってなんです?ねえ、さっきのってアンケートの紙でしょう?先生、出していらっしゃらなかったんですね」
「ああ、まあ・・・実はそうだ。君の担当とは知らず、忘れてしまっていてね。なに、僕は偏食家ではないから、何でも文句は言わずいただくよ」
「でも『コ』って」
「それが何か?」
「もしかして、コスプレのコだったんじゃ」
「まさか」
「じゃあ、『コ』って何なんです」
「なんでもいいだろう」
「よくないです。気になるもの」
「気にしなくていいよ」
「いや。いやです。気にします」
はじわじわと近寄って、伊東のそばに膝をついた。丸くひろがるスカートに両手をちょこんと揃えて乗せて、じっとひたすら真っ直ぐに伊東の顔を見上げて見つめた。
「教えてください。わたし先生のことだったら、いっぱい知りたいんです」
自分にだけ従順なメイドが熱っぽく潤ませた目で見つめてくる。平静を装うつもりで上げた眼鏡は上がりすぎて額にぶつかりそうだ。
伊東はあわてて目をそらす。けれどは食い下がった。
「お願いです。先生、ねえ・・・」
いくらねばられたからといって、熱い視線でねだられたからといって、あれに乗っかる意図があったとは口が裂けても言えるはずはない。にとっての自分は常に、うっとりと見上げられる存在でいるべきで、今もこうしてにじり寄られて押さえつけられていない胸元やすっきり露わにされた腕の肌に視線を泳がせてしまうなど決して気づかれてはならないのだ。
参謀の頭脳はフル回転してこの場を言い逃れようと必死だった。
何でもいいからを納得させるもの。納得させて、この件にこだわらせない返事。
「コ・・・」
「コ?」
「コロッケ」
メイドさんはぷっとふきだした。
メリークリスマス!すてきな企画をありがとうございました!(成田屋
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