働けOLさん〜恐怖の来訪者〜


ぶはぁぁ〜〜。
は大きく息を吐きながらコンビニの自動ドアをくぐった。
今日の会社も疲れた。疲れたといっても実際自分のやった仕事の量なんて大したことないのだけれど。
地元で買った車のナンバーをこっちの地域のナンバーに買えたところ、地元で入った任意保険の登録の変更をしなくちゃならないとかで、お父さんから「新しい車検証をファックスしろ」とのお達しが先ほど携帯電話のメールに入った。
学生をでたばっかりの女の一人暮らしに固定電話など必要ない。
コンビニは便利だ。今やファックスまで遅れてしまうのだから。時代は進んだものだなァなんてババ臭いことを感じながら、のために自動で開いてくれた薄いガラスの扉に「どうも」なんてお礼を言う。いかんな、今日は相当疲れてるらしい。
レジのところに立っていた銀髪のくせっ毛の店員さんがいぶかしげに眺めてくるのに目をそらしながらも、はさっさとコンビニの隅にあるコピー機で自宅のファックスに車検証を送った。

そして帰宅。
ぶっふぁぁぁ〜〜。
疲れた疲れた。お隣さんの迷惑になるので口にはしないが心の中でそう叫びながら、アパートのカギをひねる。こちらの扉はが前に立ったからと言って自動で開いて迎え入れてはくれない。なんだかそれが悲しくなった。いかんな、本当に相当疲れてるっぽい。早く風呂入って寝よう。
どさ、とカバンを置いて、着ていた制服を脱いでハンガーにかけた。あーあ、今日の夕飯何にしようかな・・・・。

・・・と、その手が止まる。

カバンを置いたそばのミニテーブルの上に、見慣れないものが目にとまった。
このミニテーブルは家具のアウトレット激安ゥゥ!なんて店で、それこそ一目ぼれして購入したお気に入りの小さなガラステーブルなのだ。
その上に。
ちょこんとのさばっているのはつるりとしたなめらかなフォルム。
全体的に黄緑で統一された部屋似合うように設置されたこちらも黄緑のガラステーブルに、これまたまたまぎれるようにして乗った若草色のつやつやした体。
長ーい触覚。何を考えているのか全く読み取れないつぶらな瞳。背中からお尻にかけての黒い模様。
の机の上には、どこから紛れ込んだのか、親指ほどの小さなバッタっぽい虫が我が物顔で居座っていた。

息が止まりました。

ごくり、と大きな音を立ててつばを飲み干す。
息を殺して、それでも視線はその緑の生物から決してそらさずに、はその場からゆっくりと後ずさった。
何かいるぅぅぅぅぅううう。

虫は嫌いです。
いやね、私確かに田舎育ちで、虫なんて腐るほど今まで見てきたけど、腐るほど見たって腐らないのが恐怖心ってもんだと思うのね。虫ってね、本当にだから本当にむしってやややややや!!

「ほんっっとおおぉぉに勘弁してくださいほんとどこから入ってきたのアンタほんとォォォ!!」

虫に向かって小声で叫ぶ。あくまで小声。
虫は全体的に苦手だが、ゴキブリももちろん大嫌いだが、はこのバッタの類いが特に苦手だった。
だってさ?!アイツらとぶんだよ?!飛ぶんじゃない、跳ぶんだよ?!そしてどこに向かって飛ぶのか予測付かないんだよ?!そしていつ飛ぶのかタイミングがもうほんと瞬間移動かって感じで怖い怖い怖い!!!
ゴキブリや蜘蛛が何が怖いって、見た目動向よりもまず先に足が速いのがダメ。ムカデや芋虫は確かに怖いけれど移動速度がそんなに早くないもん!一瞬目を離したすきに消えるとかないもん!
そう言う意味で、バッタは本当に駄目だった。力強い脚力、飛ぶ為ではなく跳ぶ為に備わった羽。次の瞬間どこに着地するのかが予想できないのは、あほらしく感じるかもしれないがには死活問題レベルで恐ろしいことだった。
うごくな!うごくな!なんて心の中で祈りながら、そばにあった会社のバッグをそーっと引き寄せる。

「もっ・・・もしゅもしゅ・・・へっ、へっ・・・へりゅぷみぃぃぃ!」

決してバッタから目をそらさずにかけた先は、実家のお母さんだった。
情けないと笑うがいいさ!!こんな私をみんな指さして笑うがいい!!しかし私は助けを求める!人っていうのはな、一人じゃ生きていけないから人なんだよ!!!!
訳のわからない論理を誰にともなく力説しつつ、電話の向こうから聞こえたのは、

母の笑い声だった。

「笑わないでよぅぅぅぅ・・・・!!」
『ぶっはっはっはっは!珍しくからかけてきたと思ったら・・・・ひっひっひっ・・!む、む、し・・・wwww』
「こっちは笑えないのォォォ!なんとかしてよぅぅぅ!!」
『なに、でっかいの?どんな虫』
「親指の爪くらい。緑の、バッタみたいなバッタみたいじゃないような」
『ちっさいじゃんwwwwwどんだけwwww』
「うるさぁぁぁぁい!!」

うるさいうるさいうるさい!!
私にとっては大問題なんだよ!できることならこのままそっとしておきたいけれど、狭い部屋の中寝てて起きたら目の前に緑の無表情、なんてことがあったら、私は死ぬ。精神的に死ぬ。戦って負けることがないとわかっていようが、怖いものは怖い。
いい年した大人がこんなちっこい虫にぎゃぁぎゃぁいうのも情けないのもわかってるけども。

『んなこといったってお母さん虫の対処なんて専門外だし・・・あ、お父さん帰ってきたから変わるわ』
「え?う、うん」
『おーかァ!元気にしてるかァ!体壊してないかァ?』
「ウン体は元気!でも心が今にも死にそう!!助けて!!」

そーか、それは大変だったなァ。心配の言葉を投げかけてくれるお父さんも言葉尻が笑っている。畜生!他人事だと思いやがって!!
電話の後ろではお母さんの『ぎっちょ(方言:バッタの意)が怖いんだって』なんて声が聞こえてくる。お母さんは声が大きい。
「何だァ、バッタくらい。手でつかめんのか」そういったお父さんに私は思いっきり返した。「絶対に無理!!!」

「箒あるか?箒の先っちょにとまらせて、ベランダから外に出してやれよ」
『どんな虫?どんな虫?』お父さんがしゃべる後ろでお母さんの声が割とはっきり聞こえる。まるで3人電話だ。
「う、うん・・箒ならあるけど・・・うぅ」「そんなんでビビっててどうすんだこれから」後ろで『コロコロ(ほこり取り)でつぶせ』なんてお母さんの声が聞こえてくる。なんておぞましいことをさせようと思っているのだあの母は!!
「箒近づければバッタは自分から乗ってくるから、やってみろよ(父)」『掃除機で吸え、掃除機で(その後ろから母)』「それだァッ!!」私が答えたのはお父さんではなくその後ろのお母さんだ。
掃除機で吸う。

これはいける!!

いったん電話を切って、私はクローゼットからめったに使わない掃除機を引っ張り出してきた。コンセントを刺した瞬間に(電源がつけっぱなしだったため)ブオオンと呻った掃除機にびくぅっと体が飛び上がる。
照準を定めてからスイッチを押すか、スイッチを押してから虫に近づけるかで5分近く悩んだ末、はようやく重い腰を上げた。
スイッチに手をかける・・・・・・ばくばくばくばく・・・深呼吸深呼吸・・・(そして一分が経過)・・・・よし!

くらええええ!!

意を決してスイッチを押した掃除機がブオオオオオオ!と腹に響く呻り声を上げた。完全に腰が引けてる状態で伸ばしたホースの先が虫触れるか触れないかのあたりまで近づく。
虫は、バッタは・・・・・。もぞもぞとうっとおしそうに身じろぎをして、奥へと逃げて行った。

ピ、ピ、ピ、ピ、ピ、ピ、

『ハイもしも、』
「駄目だった!虫のしがみつく力が強すぎて吸い込まれてくれなかった駄目だったどうしよう!!」
『ぶひゃひゃひゃひゃww』

またしても母の爆笑が響く。ちっくしょぉぉぉ覚えてろ母め!
自分の出す声が涙声なのに気づいて我ながら笑えるくらい情けない。こんな時まで目は一瞬たりともバッタからそらせないなんて。
もうだめだ、終わりだ。コイツァ私の手には負えない。一瞬、隣の部屋の住人に助けを求めるか・・・・?という考えが浮かんだ。すぐに消えた。
なぜなら、目の前の緑の悪魔に、動きがあったからだ。

「ひっ!」
『んー困ったねェ。どうした?』

掃除機の吸引攻撃は一応は効いていたらしい。バッタはもぞもぞと煩わしげに体の位置を動かすと、足を滑らせたのか机から下のカーペットに落下した。
その瞬間を狙って掃除機で吸えばよかったのかもしれないが、あいにくひっくり返ってじたばたともがくバッタの姿にの体は完全にひるんでいた。
そして・・・・。

「・・・う、うぎょわあああアアアアアアアアアアア!!!!」
『(大爆笑)』

起き上がったバッタが、(きっと敵から逃げようと)ぴょんぴょん跳ねて来たのだ。一直線にこちらに向けて。
バッタがジャンプするたびに自分でも信じられないような間抜けな悲鳴が漏れる。電話の向こうで母はずっと爆笑しっきりだ。うっとおしいとか思うそれどころではない。
しかし人間追いつめられると多少の勇気は出るもので、携帯電話片手に叫びながらもの手は掃除機に伸びていた。捕まるところの少ないカーペットの上にいるところを、掃除機で吸いこむ。バッタは無事吸い込まれてくれた。罪のない命を奪ってしまったことに若干の罪悪感を感じバッタのご冥福をお祈りするのは数日たった後の話だ。
叫び疲れて肩で息をしながら「吸った。吸い込めた。吸った」ととぎれとぎれに今の状況を報告すれば、耳元の機械から母の声が聞こえてきた。

『あ、おばあちゃん来たから、代わるわ』
「いや、そうじゃなくて、吸えたって、」
ちゃんかい?久しぶりだねェ・・元気にしてるかぃ』

『そうかぃ・・・バッタさんが怖かったんだねェ。でも誰も助けてくれないからねェ、これからは一人で何とかしていくしかないんだよぉ』「うん、うん、だから、吸ったって。吸えたって」『人はねェ・・・そうやって、一つずつ強くなっていくんだよ』「うん、うん、だから、吸ったよ」『一つずつでもいい、一歩ずつでもいいから、強くなっていくんだよォちゃん・・』「うん、うん・・・・そうだねえ・・」

まったく心のこもっていない相槌を連打しながらも、は掃除機の中身が気になって仕方なかった。まだ生きてるんだろうか、とか、管を通って再び入口からよみがえってこないかとか。
だからあんまり話聞いてませんでした。ごめんね、おばあちゃん。





夢じゃねぇよこんなん。
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