働けOLさん〜謎のお隣さん〜
真選組監察、山崎退とは何を隠そう俺の事だ。
そんな俺はただ今、アパートの一室で不穏分子の張り込み中。鬼の副長に命じられ半月ほど前からアパートの窓から毎日ターゲットを監察し続けているのである。
10畳半ワンルームの部屋の中はひどいものだ。床中に空のアンパンの袋が散らかっているし、台所のシンクには飲み終わった牛乳パックが散乱している。
おっと、初めての人にも分かるように説明させてもらおう。
古今東西張り込みにはあんパンと牛乳が必要不可欠なキーアイテムである。それはもう、張り込みの神様に愛されし二種の神器なのである。
この他にも、深くかぶればメモとまで隠れるようなつばの大きな帽子とか、口元まで隠れるような大きな襟を絶たせて着こなす革のコートだとかいろいろあるものの、一回着た時に友人の原田に腹を抱えて爆笑されたため、俺にはあっていないと断念。
その代り、俺山崎退は張り込み中はあんパンと牛乳しか口にしない、達成するまで他の物を購入して食べる何で言語道断、なジンクスと縛りでもって、数々の難事件を解決に導いてきたスーパージミーなのだ。
そんなあんパンと格闘(?)する俺をよそに、この4月から隣の空き部屋に新入居者が引っ越してきた。確か、女の子だった気がする。
だからと言って俺の生活が変化するわけではないのだけれど。あんパン補充時以外は一日中部屋に引きこもっているため会うこともない。
今日も一日張り切ってあんパン片手に張り込みをする。あんパンの袋を引っ張って張り切って張り込んで気も張りっぱなしな俺は、はあ、と溜息をついて張り込んでいた気を緩めた。
張り切ってとか言ったけど。いろいろ張ってるけれど。このくだりはいったい何回目だろう。無限ループって怖いよね。
いつものごとく2週間を過ぎたあたりから心は病み始め、あんパンを見ているだけで吐き気を催すようになってきた頃、ピンポーンと玄関のインターホンが鳴った。
いつもと違う刺激に、俺はとっさに息をひそめる。
今までも何度か副長が様子を見に来ることがあったが、あの人はチャイムなど鳴らさない。誰だ。
気配を殺してドアについた穴から外をうかがえば、白いブラウスに桜色のカーディガンを羽織った女の人が立っていた。
「はい」
「あ、あの、隣に引っ越してきたものですけども」
「・・ああ」
新入居者が何の用だと思ったものの、彼女の手に持たれた箱を見て勘のいい俺は直ぐに理解した。
要するに引越しそばだ。イヤ、彼女が持っているのはそばではないけれども。まあそういうたぐいのものだ。
壁のつながった同じアパートに住んでいれば、左右隣と真上真下の住人にはご迷惑をおかけするかもしれませんがと粗品を持ってまわる。
粗品など貰わなくてもこちらとしては一向に構わなかったのだが、律儀に訪ねてくれた隣人をむげにもできず、山崎はゆっくりと半分だけ扉を開けた。
「4月から隣に引っ越してきました。何もわからないのでご迷惑をかけることもあるかもしれませんが、よろしくお願いします。これ、よかったら食べてください」
「そんな、わざわざどうも」にっこり笑みを作って差し出された箱を受け取る。それは蕎麦ではなく饅頭のようだった。求肥(ぎゅうひ)に粒餡が飴玉のように巻かれた、少し変わった形をした和菓子。地方名物と書かれたその地域はここいらじゃ見かけない地名だったので、きっとこの子は遠くから引っ越してきたのだろうなあと思った。4月から引っ越してきたということは、働きにでも出てきたのだろうか。
何も言わずにぼーっとそんなことを考えていれば、目の前の女性はえへへ、と笑ってくしゃりと顔をほころばせる。
じゃぁ私はこれで。これからよろしくお願いします」といって一歩下がった彼女に、俺もお辞儀をして扉を閉めた。
せっかくのもらい物だし、パンが餅になっただけであんパンみたいなものだし、と適当に理由をつけて、俺はさっきの子からもらった箱の包みをびりびりと無造作に破く。
そういえば名前も聞いてなかったや、と思いながら口に放り込んだ和菓子は、とっても甘かった。半月ぶりのあんパン以外の食物だ。
餡を包む皮がパンから求肥に代わっただけなのに、ものすごくおいしく感じたのはなぜか。
それから更に1週間が過ぎた。ターゲットはいまだ決定的な動きを見せない。
寝不足とストレスで目元にはくま。そんな状態になってもターゲットが動くまで俺は見張り続けるのである。酷な仕事だ。鬼副長め。
日も傾きターゲットも店仕舞い。結局今日も収穫ゼロだ。あんパンが切れていたことに気づいて、山崎は重い腰をどっこらしょ、と上げた。
部屋中に散乱したあんパンの袋をゴミ袋に詰め込み、財布をつかんでアパートの外へ。ゴミ収集車の人がこれを見たらどう思うんだろうか・・なんて思いつつもあんパンの袋オンリーでパンパンになったそのゴミ袋をゴミ捨て場に放る。
そのままとぼとぼと足を進め、山崎はいつもお世話になっているスーパーへやってきた。
買い物かごにはもちろん山のようにあんパン。これだけあればもう1週間はやっていけるはず。お買い得品の「粒あんパン3個セット」最後のひとつを、立ち話をしていた家族の隙間を縫ってGET出来て本当によかった。
レジに並びながらかごに入ったあんパンを見る。パッケージには丸いシールが張られていて、大きく「1点」と書かれていた。パン祭りねえ。何点か集めると白いサラダボウルがもらえるのだそうな。
何故パンを食べてる人にサラダボウルなのか。料理なんてしないので貰う気はさらさらない。今の俺はあんパンと牛乳があればやっていける。いや、やっていかなければならない。
そこまで考えて、ふと、本当にふと先日饅頭を持ってきてくれた新しい隣の住人の顔が浮かんだ。あの子だったらお皿欲しいかもな。
「・・・・おかえし、した方がいいかなぁ・・」
そうつぶやいた山崎の言葉に返事を返してくれたのは、セルフレジの「ニャー!」という猫の鳴き声だった。
「ぶはー!今日も疲れた!」
働き出して1週間。今日もくたくたになって帰ってきたは、部屋に入るなりコットンメイク落としでガシガシ顔を拭いて化粧を落とすと、ポイポイとスーツを脱ぎ捨てていった。
パジャマとも部屋着とも区別がつかない領域のルームウェア。それをだらしなーく着こなして、一目惚れで買った芝生のような若草色のシャギーラグカーペットにごろりと横になる。
先週のジャンプをぺらりとめくったところで、ぴんぽーんとインターホンが鳴った。
読むとも読まんともしていたジャンプがびくりと飛び上がった拍子にカーペットに落ちる。当たり前だ。引っ越してきたばかりこちらで友人もできていないのに、こんな日が暮れてから訪ねてくる人物など想像もつかない。
インターホンの画面を恐る恐る覗いてみて、はさらに混乱した。知らない男の人。郵便屋さんでも宅急便屋さんでもない。
「は、はい・・」
恐る恐る声をかければ、画面の中の男は「隣の部屋のもんですけどォー」とけだるそうに言った。
あっ、そ、そうだったか。は慌てて玄関の扉を開けた。全然顔覚えてなかった。だって全然会わないんだもん。本当どんな仕事をしているのだか。
玄関の前に立った隣の住人である男は眠そうに眼をごしごしこすりながら、「これ」と手に持ったスーパーの袋をずいと差し出した。
「こないだのお返し」
「えっあ、そ、そんなの良かったのに・・・」
「あー、なんか困ったことがあれば、何でも言ってくださいね」
疲れているのかつっけんどんな言い方だが、その内容にぱちぱちと数回瞬きをした後、はにっこりと笑った。「はい!ありがとうございます」
「じゃぁ」と言って隣の住人さんは去って行った。それを見送ってからゆっくりとドアを閉める。スーパーの袋いっぱいに入っていたのはいろいろな種類のお菓子だった。
いい人だ!もうすでにどっち側の隣の人かあやふやだけど!顔すらあやふやだけど!
そんなことを考えながら、そういえば名前も聞いてなかったなぁなんて、ちょっと惜しいことをした気分になった。
滅多に会わないだろうけれど、もしも今度会う機会があったら。名前、聞いてみよう。
がさがさと袋をさばいていると、一番奥に白い箱が顔を出した。お菓子にしては重いし、何も書いていない真っ白な箱。
なんだろうと封を切ってみれば、
その箱から出てきたのは、白いサラダボウルだった。
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