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風さわやかなとある春の日。週に一度の休日をはのんびり街へ繰り出し、散歩がてらの買い物をして楽しむつもりだった。
天気も良くてせっかくなので大きな川沿いの道を行く。岸辺の桜並木は五分咲き、ほのかに色づく木の下を多くの人がそぞろ歩いていた。
すると前方にくっきりと黒く引き締まった姿が見える。隙のない洋装の制服は見慣れた真選組のもの。笑いさざめく人々にまぎれそこだけ空気も張り詰めていた。
人影は副長土方十四郎。日頃からのだんご屋を贔屓にしてくれる常連客だが、は思わず立ち止まり、きょとんと首をかしげてしまった。
あちらも気付いてくれたのだが。
「よう姉さん。今日は休みかい」
「え、ええ…おはようございます土方さん…」
の腑に落ちない顔も道理。
土方は犬を連れていた。
短く肉付きの良い脚がいかにも大きく育ちそうな仔犬だ。薄茶の毛並は短いけれどふかふかと詰まり撫で心地が良さそう。
ぎょっと一瞬足が竦んだが、土方が仔犬を繋いだ紐をしっかり手繰り寄せてくれたので、もおずおずそばへ寄ってみた。
「まあ。今日はいったい…?」
足元のわんこに目をやると、歩みを止めた土方に合わせ行儀良くおすわりしている。が近づいても飛びついてきたり、もちろん大声で吠えたりもしてこない。ただただ黒くて丸い瞳をきゅるんと輝かせを見上げている。
おすわりを褒めてほしいのだろうか。その目は期待に満ちていた。
えへんと胸を張るような仔犬の姿には和んだ。まあかわいい。
いつも犬を見ると驚いて逃げ出してしまうだったが、犬全般が問答無用で苦手なわけでは決してない。定春のような大きな犬や、野放しの犬が怖いだけで。
特に繋がれていない犬はダメだ。やつらいったい何をしでかすやら一瞬先の行動も読めない。数メートルは空けていた距離をひとっ飛びでびょーん!と詰めてくるわ、目の回りそうなスピードで足元をくるくる走り回るわ。が逃げれば追いかけてきてお尻を噛むのだ。おそろしや。
ところがこのわんこ。躾がよほど行き届いているのかおすわりしたきり微動だにしない。
だんだんと胸がどきどきしてきた。なんてかわいいわんちゃんだろう。今は仕事柄飼えないけれど、本当はも動物をもふもふするのが嫌いじゃないのだ。
「あ、あのう…少しだけ、撫でさせていただいても?」
「お?ああ、どうぞ」
土方は軽く体を屈め、仔犬の背を押さえつけてくれた。良い子のわんこには無用の気遣いだと思ったが。
がしゃがんで目をあわせると、わんこがあわててうつむいた。
「あはははなあに?照れてるのかな。かわいいねーおまえ」
もうこのわんこは少しも怖くない。ちょうど差し出される形になった狭いおでこを撫でてやった。
「わはっ!かーわいい!」
毛並に沿って指を滑らせる。かすかなぬくもりとふかふかした毛が心地よくて手が止まらない。
の手はわんこを蹂躙した。いつの間にやら両手がかりで、ほっぺたの肉のたるんだところや、背中や、腰をわしわしとかきまわすように撫でまくった。
「わああ!いいこだね!いいこいいこ!もうちょっとね。もうちょっといいこにしててね!」
体中をにまさぐられながらわんこはとてもいい子にしている。
「なんだか言葉がわかるみたいねぇ」
「そうだな。わかってるんじゃねえか?」
微笑ましそうに見ていた土方が表情そのまま笑って言った。
「なあ総悟」
ぽんとあまりになにげなさ過ぎて、放り投げられたそのひとことを理解するのにしばらくかかった。
やっと土方を見上げた時にはの両目は点と点だ。
「………はい?」
「ああ?ああ姉さんにゃ言ってなかったか。そいつは総悟だ。昨日どっかでイタズラされたらしくてな、そんなナリに変えられちまったらしい。まあ大方自業自得なんだろうが…」
言われてはしげしげと目の前の仔犬を見つめなおした。ぴんと立った耳、やんちゃな目。黒く濡れた鼻の周りだけ他よりわずかに毛が白い。
そういえば。「昨日」「イタズラ」のキーワードで忘れかけていた記憶が戻る…。
「あああああっ!」
総悟というのは本当かもしれない。だしぬけにこんな大声を出されても仔犬はびくともしなかった。
それはまさしく昨日の話。財布を忘れた客を追いかけ、無事につかまえ届けた帰りだ。超希少種のうさぎを抱いた銀時にばったり出くわした。
そばにいたのが…そう、このわんこだ。間違いない。
あの時は紐につながれていなくて、の目にはこの愛らしい仔犬が巨大な狂犬に見えていた。うさぎが襲われては大変と必死に追っ払ってもらった気がする。
その後警察へ届けたら、うさぎは違法ペットショップからの押収品だったらしい。
するとあの時のうさぎは総悟が。
ということは。
「あの…もしかして、それ…、もしかして銀ちゃんのせいです…?」
こっそりわんこに耳打ちすると、総悟は口の中で低く吠えた。
「わふっ」
「ああ…そうなんだ…」
こころなし仔犬も仏頂面だ。
「行くぞ総悟。散歩は終いだ。いつまでもふらふらしてられねぇ」
土方はおそらく貧乏くじで世話を任されてしまったのだろう。
しかしきびすを返す土方にわんこの総悟が足を突っ張る。「行きたくない」と全身で訴えているのはよくわかるが、いかんせん小さな体では全く踏ん張りがきかない。道に4つの線を書きながらずるずる引きずられてしまう。
「うぅぅ…!」
「こら!聞き分けねぇぞオイ!てめぇが抜けた分忙しいんだ!」
「わんわんっ!」
「あのう…土方さん」
が引き止めた。どうも自分も無関係ではない。うさぎを守る為とはいえ総悟にはひどいことも言ったから、せめてもの罪滅ぼしだ。
「よかったらわんちゃんしばらく預かりましょうか?今日はお休みで暇ですし」
「おおっ!そうしてくれるか?そりゃあ助かる!メシもトイレもさっき済ませたんで適当に遊ばしてくれりゃあいい」
渡りに舟と土方も大喜び。紐を押し付けるのも早々に足はもう屯所へ向いている。副長には仕事が山積みなのだ。
ふとその手には似合わないビニール袋には気付いた。
「土方さんそれは?」
「ああ、こりゃあさっき出した…」
がっぶぅぅぅぅぅぅ!
土方の足へ食いついたままわんこがぶんぶん振り回されるのをはぽかんとただ見ていた。
紐を手にしてが訊ねた。
「さあどこに行きましょうか沖田さん」
「わふっ」
わんこ総悟は首輪をしておらず、代わりに肩へ通した輪っかから長い散歩紐が伸びている。
「あらあら首輪つけないの?人に付けるのは好きなのに?」
にやにや意地悪く笑ってやったら「ふん」と鼻息であしらわれた。
土方と別れたと総悟は川風の心地よくそよぐ土手沿いにてくてく歩いている。土手の下には広い河川敷。平日の昼ということもあって今は人出もちらほらだが、休みになれば球蹴りで遊ぶ子供や親子連れで賑わう場所だ。
気の向くままにしばらく行くと橋のたもとに茶店を見つけた。庇に吊るされた「だんご」の小旗がひらひらと風にはためいている。
「ちょっとお茶でも飲んでいきます?」
「わん!」
異論はないようなので声をかけた。
「すいませーん。わんちゃんと一緒なんですけどいいですか?」
「はあい!いらっしゃいませ!外のお席でしたらご自由にどーぞー」
総悟もいつも大好きな店先の縁台には腰掛けた。店の娘がぼろい茶碗に犬用の水を出してくれる。親切な店だ。
立場が変われば気持ちも変わる。基本ペットの同伴はお断りしているの店だが、次からは少し考えてみてもいいかもしれないなんて思った。
総悟は茶碗に鼻面を突っ込み水をがぶ飲みしている。息もつかずにおなか一杯、に会うまでに歩きどおしで喉が渇いていたらしい。
喉を潤し人心地つくと(犬だが)総悟はとん、とのひざへ両手をついて尻尾を振った。くるんとくろわっさんのように丸まった尾が何か訴えている。
「なあに?おひざ乗りたいの?まあいいか」
ひざを叩くと「待ってました」と言わんばかりに飛び乗ってきた。わふわふ、落ち着く体勢を探しぐるぐる回り続ける総悟を、はひょいっと抱き上げてやった。
興奮気味に息を吐き、総悟がぺろぺろほっぺたを舐める。
「あはは!くすぐったい!やめてやめて沖田さん!」
の頼んだわらびもちのきなこがお目当てだったのか、口の周りもぺろぺろと。
「ぶひゃっ?あはははは!だめよそんなことしてもあげないよ。人のお菓子食べちゃだめなのよ」
それでもかまわずべろべろべろ。顔中べたべたにされてしまった。
茶店からさらにしばらく歩くと、背の高い柵と金網で区切られた大きな広場が見えた。柵の中には大小合わせ何匹もの犬が走っている。紐を外して全力疾走だ。
なにかと思い土手を降りると「大江戸どっぐらん」と犬の絵の描かれた看板が立っていた。最近はペットのマナーも厳しくて、犬を放して遊ばせる為にこんな施設があるらしい。
「ふうん?走ってみる?」
「わんっ!」
太い足を踏ん張り尻尾をぱたぱた。総悟は興味津々のもよう。にペースを合わせたお散歩ではどうやら物足りなかったようだ。
さすがに繋がれていない犬たちが走り回る中へは入れない。は外から見物することに。
総悟は紐を外されるやいなや、広場の端から端までをぎゅいーん!と走って往復して、の目の前へ戻ってきた。
「わんっ!」
短く吠える。足の速さを褒めろとでも言うように。
言われるまでもなくはべた褒めだ。他の犬達と比べても特に機敏な身のこなし。小さいながらも精悍な体。一緒のまで鼻が高い。
「すごいすごい!速い!総悟くんかっこいいよ!」
もちろん総悟も得意満面、調子に乗ってよそのわんこに投げられたふりすびーを横取りした。
人の背丈より高く飛びあがり、空中でぱくりと円盤をキャッチ。勢いのままに一回転して音もなく着地してみせる。
横取りされてしまった飼い主も文句を言うのをうっかり忘れる…それほど華麗なとんぼ返りだった。
など完全に心を奪われ、声にならない声しか出ない。
「ほわあぁぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁあ…!!」
そんな夢心地にいたもので、たもとをくいくい引っ張られてもはしばらく気付かなかった。
何度も何度も袖を引かれてようやく我に返って振り向くが。
「は、はい?どちらさま……ひゃっ?!」
と、奇妙な呻き声を最後に、体は硬直してしまった。
くわえたたもとをべろべろのよだれまみれにしていたのは、四足でいてもの胸まであろうかという巨大な洋犬だ。目のぎょろりとした厳つい顔は軍人さんを思わせる。ほぼ黒に近い濃灰色の毛は滑らかに光り輝いていた。
だがその犬には紐がついていない。のいるのは柵の外なのに。
飼い主さんは遠くのほうから笑顔でこちらへ手を振って、助けに来てくれる素振りはなかった。柵の外で犬を放すのはもちろんルール違反だが、まさか金網にかぶりつきで犬を眺めている「飼い主」が、犬が苦手だとは思わないのだろう。
「…………………!!」
あわわわあわあわあわわわ!食べられちゃう!
…と頭では思うが声にならない。
ぐわーんと目の前で犬の口が開く。ゴムパッキンのようなびろびろが涎で光り、禍々しかった。
体は竦んで動けないのにがそうまで怖がっていると誰にも気付いてもらえない。
ぬっと黒犬が寄ってきた。もうだめ。すうっと視界が霞む。
そのまま卒倒しそうなへ、ところがそこへ思わぬ助けが来た。
柵を飛び越えたわんこの総悟だ。
「がうがうががう!ぅがう!がうがうがう!」
自分の何倍も大きな犬へ総悟は果敢に牙を剥いた。がうっ!
それに怯んだのか、それともはなからこんな仔犬は眼中になかったのか。とにかく黒犬はのっそりとどいて、追いついてきた飼い主とともに柵の中へと入って行った。
ここで今小さな戦いのあったことは周囲の誰も気付かないまま。
呆然と立ち尽くしていたは、やがて糸の切れた人形のようにへなへなへたりこんでしまった。草むらにぺたりとしりもちをついて、かすれた声で泣いてしまう。
「うぇ……うぇぇぇぇ…!」
総悟のわんこを抱きしめめそめそと。
「こ、怖かったぁ。びっくりしたよう。ありがと、ありがとね沖田さん…」
力いっぱい抱きしめられて、谷間で総悟が窒息しそう。尻尾がぱたぱた助けを求めていた。
だんご屋の裏の狭い部屋。土間に段ボールで即席の寝床をに作ってもらって、中で総悟は丸まっていた。
ことこと鍋で炊いたささみと各種野菜をよーく煮込んだ、手作りの犬ごはんを思う存分食べて満腹。部屋にまだ残るおいしい匂いに包まれているうちうとうとしてきた。
箱へ敷きつめられた布は何度も何度も水をくぐってくたくたになったの寝間着だ。柔らかい浴衣に体が沈んだ。
「お昼寝するの?たくさん遊んだもんね。よしよし」
背中を撫でてくれる優しい手。
起きたら今度はこの近所を散歩しようと考えながら、いつの間にやら総悟はぐっすり眠りの国に落ちていた。
…残念ながら目が覚めてみると自分の部屋の布団の中。
心配そうな近藤と土方に覗き込まれていたけれど。
「総悟!戻ったか!ああぁ良かったぁ!」
感激で泣き出す近藤をよそに、総悟はぼんやり体を起こした。
いまだ夢でも見ているような、魂の抜けてしまった顔。とろんと据わった目を泳がせて、宙へ向かってぽつりとつぶやく。
「俺のことはイヌって呼んでくだせぇ…」
「総悟ォォォ?!」
ドS王子が宗旨替えかと屯所で起きた大騒ぎを、もちろんは知るよしもない。
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なんとキリ番プレゼントの続きを書いてくださったので土下座して持ち帰らせていただきました(笑)
「このウサギになら、飼われたい」
ウサギさんに腰を抱かれうっとり頬を染めるそーちゃんに、溺れてしまう・・・!
分かりづらいコメントでごめんなさwwwすみれさん許可してくださってありがとうございましたー!